散歩で山には登れない

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3年目以降のナレーター駆け込み寺。「その意味は」2

ごりっぱ店長の理念が生まれた日のお話エピソードZERO


下記文章は、前職のvelvetおよびBirdsが配信するナレーターメルマガ(2010年6月vol.142)に山上トモがナレーターとして寄稿した文章です。
この経験と想いが今も、ごりっぱスタジオを突き動すのです。


 

『お前のこだわりとかどうでもいい!俺たちぁ遊びでやってんじゃねーんだよ!オンエア始まるだろうがッ!』

 

 これがボク山上智の人生はじめてのTVナレーション収録。

 

 トークバックにプロデューサーのどなり声。この時すでに収録開始から5時間。たった4分のミニコーナー収録が、番組の放送まであと2時間をきってました。

 

 それっていうのがどんだけヤバいことかくらいは知ってたし、怒鳴られて足はカタカタいうし、せっかく書いた字が汗と涙でにじんでまた焦って。「歌詞が見えんようなるから」って、とにかくそれ以上泣くのだけは必死に我慢しました。


   
 ボクのナレーションスタイル、ラップ。

 

 今思えばベルベット社長義村社長との初対面、ボクがギターを持ってたってだけでなぜか指をパチコン!鳴らして「じゃラップ唄ってみるぅ?」そんなファンタジスタマネージメントから始まったスタイルです。

 

 そんな前代未聞の”ラップスタイル”は、それ以来二人三脚で作り上げたものです。
 半年もの間サンプルを作り続けて、誰にも理解されなかったのにも関わらず「ラップはあるよ。1年後か100年後かわからんが、いつか必ずあるんだよ」とずっと言ってくれていました。

 

 ボク馬鹿なもんで、何を言われても俺は天才系なんスから理解されないのも当然じゃないスかって、適当に思ってました。
 
 だからサンプル作りの行程で「この言葉は少し早口すぎてテレビじゃ難しいんじゃない?」と言われれば「ノー。ここがかっこいいんです」、「その比喩は伝わらないんじゃない?」「ノー。この皮肉がなきゃダサいです」。

 

  どうやって売るのか…この難しさを考えもせず、ただただ想いのままに「だって俺の歌詞は全てに韻を踏んである中でダブルミーニングをいれてある。こんな面白くしても削るってんなら、なら俺じゃなくてええやんか」そう思ってました。


 そうこうするうちに半年。いよいよやってきました、サンプルをきいてくれたというPがボクを使ってみるというのです。
 
 そしてきた初仕事は深夜のスポーツ番組のナレーション。任せていただいたのは、ド新人に大抜擢中の抜擢!海外試合の一週間分をラップで紹介していくって役目。ド新人のボクにこの大役を回していただくまでに誰がなにをしてくれたかとか、この後どうなるか、なんて一切考えてなかったボク、このお話をいただいても、さも一人で全部なしとげたみたいに、ホラキタ——(゜∀゜)——ッ!って有頂天。
 
 ボクのラップスタイルは誰も原稿かけませんし演出することもできません。全部、一人。
 でも家ではスラスラやってることでしたのでなんの準備をするでなく、家族や友人に電話で自慢したり、そんな事ばっかしてました。つーか準備なんかするから予定調和で魂の叫びがでねえんだよくらい思ってたので悠々としてたんです(^_^;)


   
 さて、収録予定の2時間前に義村社長と二人で局に入って、ホヤホヤの映像を見せてもらいながら別室でナレーション原稿を書くことに。

 

 数秒前まで余裕でしょなんて思ってましたが、現実とのギャップにいきなり頭真っ白!知らない競技ってこともあり、緊張もあって、やったみたらほんの数行も書けない。

 

 2時間かかっても終わらず、見切り発車でブース入り。それからはもうひどいもん。

 

 なんでかリズムがとれない。家とは勝手がまるで違って、たった1行3秒ほどのフレーズを何度も何度も唄いなおさせてもらう始末。収録をとめてもらって、歌詞を考えさせてもらうけど何も思いつかない。

 
 困ったのはラップの常套句。よく考えたらほとんど放送禁止用語でほぼNG。でもぎりぎりの表現の中で、なんとかいつもの「かっこよさ」を出さなきゃってまた焦って。
 

 でも出ない。テレビのシビアな条件も考えずに「俺のかっこよさ」なんて成り立つ訳ないですよ。義村社長はこのことをずっと教えてくれてたんです。でもボクときたら、どうしてもそれを認めたくないんで、あーでもないこーでもない、グダグダと歌詞を考える。
 
 スタッフさんたち「じゃこうしたら?」文章を考えてくれるんですが「いや、もっとボクっぽくいのがあると思うんで…」毎度断って。 そんなこんなでスタッフさんの雰囲気が少しづつ曇ってって、言い訳がわりに申し訳ない気持になってばっかで。それで、あっという間の、4時間経過。


 で、冒頭のシーン。

 

 今ではこの日の経験がボクのすべてを変えてくれたと身に沁みていますから、このプロデューサーさんにも心底感謝しています。でも当時は理解できなくて『”遊び”てなんじゃ!』と思いました。

 

 そのあとの文章をほとんどプロデューサーさんに書かれた(書いてもらったのにね)ことがほんと悔しかった。

 

 誰にも聴こえないようにマイク切ってから『なら俺じゃなくてもええやんか』とボヤいたのを覚えてます。何時間もおつきあいしてくれたみなさんに、なんにもお返しできなかったくせに。

 

 収録終了はほんとにぎりぎりオンエア1時間くらい前。満身創痍。PもDもミキサーも、視線がめちゃめちゃ冷たい中、スタジオに流れるボクのVTRは夕べまで想定してたカッコよすぎる自分じゃなくて、ほんとの自分。恥ずかしいやらなんやら、ボク、顔を真っ赤にしてうつむいていました。

 

 義村社長、何にも言わず、ゆっくりコーヒー飲んでて。

 

 瞬間クビだと思いました。てかもう顔つぶしちゃってどうしようもなくって、逃げたいからクビにしてほしいって思ってました。

 

 そして局の帰りのエレベーター。義村社長と二人きり。ベルベット社長としても本音が出せる環境がやってきました。

 

『で、次はどうすればうまくできる?』

 

 …次?

 

 『山上がもっと自由にプレイしていくためには、自分で自分の環境を整えなきゃなんないよね。次はそれが課題かなあ』

 

 ……次?!
 続けてもいいんだ?!
 しかももっと自由にやるために?!

 

 ボクがブースに5時間こもっていたころ、義村社長は怒鳴るプロデューサーの横でずっと自信満々でいてくれたのでした。

 

 話しかけたり、普通にお茶を飲んでいる「その姿」でいること。実演者でないからこそ増す、その怖さと、重要さ。それはどんな人でも、本当はとってもしんどい孤独な作業です。
 内心では「ほら言わんこっちゃない」という気持もおさえきれないほどあったと思います。でも、その想いよりもボクの表現と自由を尊重して、それでいてマネージャーとして最も効果的で、最も有益で、そして最もプレイヤーを守る、ほんとうに最善の手を尽くしてくれていたのでした。

 

 ずっとボクの表現を「次」に生かす方法を考えていてくれたことを初めて思い知りました。今にして思えば、これだけ表現を尊重する人の発言に対して、あまりに無自覚にノーを言っていたボク…自分だけが戦った気持で、自分だけが負けて悔しい。自分、自分で。消え入りたい気持で一杯でした。

 

 2時間後、なんとかつぎはぎで作ってもらったVTRはびっくりするほどかっこよくって、オンエアを見てくれた人からは本当に嬉しい感想。

 

 でも。毎度この調子じゃ仕事にならないし、こんなはずじゃなかった。

 

 なにやってんだボク。
 いや、”何をやれなかった”んだボク…?

 

 クリエイターを気取りたいなら「いま」実証してみせるしかなかった。「いま」みんなの度肝をもっと抜いてみせて、視聴率もあげてみせて。でも何一つ証明できなくて、結局社長に守られてただけじゃん。

 

 やっとわかった。
 今のままじゃボクの個性は、”遊び”なんだ…。

 

   それまで義村社長や皆さんに話してもらっていた「プロのクリエイター」ってことをボクが理解する、小さな出発点はこんな感じ、それはそれは大きな出来事の中でのことでした。

 

 27歳の秋。
 遅すぎた”遊びの個性”からの卒業。

 

 散歩の途中で富士山に登れた人はいない。誰にでもあるはずの個性を自分自身で掴み、仕事に結びつけるという山に登るには、最初に少しのアイディアと、充分なビジョン、そして大きな飛び込みがいる。義村社長は最初からずっと言っていましたが、ボクが理解するにはもっともっとくさんの失敗をして、身を持って知って行く必要があったのでした。

 

 たったの3年ほどですが、ベルベットに関わってから、社長をはじめみなさんに教えてもらいながら怒濤の日々の中で『伝える=売る』という難しい問題と集中して向き合い続けてきました。

 

 このやりとりの中で、こんなボクがみなさんから学んできたことをすこしづつ伝えられたらな、と思っています。